誰が運転する?(1986-1992)

その1.

1986年に就職して、研修でない最初の出張は佐々多氏と一緒に栗駒北部へ行くことになった。11日間の予定だったが佐々多氏は多忙のため最初の3日間しか行けず、筑波から車で行く時間もなかったので、新幹線で一関まで行きレンタカーを借りることになった。当時の駅レンタカーはあまり種類がなく手頃な値段のものはAT車しかなかったが、水垣は免許取得以来5年間ペーパードライバーで、しかもAT車を運転したことがなかったので、事前に地調の非常勤の人のAT車を借りて練習した。しかし佐々多氏にそう言ったら、佐々多氏の滞在中の3日間は一度も運転させてくれなかった。

その2.

翌年も佐々多氏と一緒に栗駒北部へ行ったが、今度は地調の車を使ったので片道1日かかるので交代で運転した。ある日、佐々多氏は二日酔いだったので水垣の運転で木地山から小安に向かっていたら、ヘアピンカーブで対向車がこっちの車線にはみ出して来た。急ブレーキを踏んで事なきを得たが、佐々多氏は爆睡していて全く起きなかった。

その3.

多摩入氏と一緒に伊豆へ出張することになったが、首都高を通るのが嫌なので三島まで行ってレンタカーを借りた。その頃はもう何度もATのレンタカーで出張して運転にも慣れていたので、迷わず小型のATを借り、自分で運転するつもりだった。ところが多摩入氏は運転大好きなので、「AT車は初めてなんだけど」と言いながら運転席に乗ろうとする。だから最初だけでも私が運転します!と言ってるのに強引に運転席に乗り込んでしまい、「それでまずどうするの?」ぎゃー!あんなに恐かったのは某教授の運転以来です。

その4.

沢気氏もAT車を運転したことがなかった。それで沢気氏と一緒に栗駒北部に行った時、ATのレンタカーを借り、教えてやるから練習してみいと言ってるのに、沢気氏はどーしても嫌だと言って5日間の出張中1度も運転しなかった。

その5.

その沢気氏と笹気氏と3人で地調の車で栗駒北部へ行くことになった。どうせ1日がかりだから交代で運転するのだが、ちょうどオリンピック開催中でみんな寝不足だったので運転したがらず、最初に誰が運転するかジャンケンをしたら水垣が負けた。(その日に「慣性の法則」事件が起きた。)帰りも朝イチに誰が運転するかジャンケンしたら水垣が負けた。


目次に戻る