故・森下 晶先生(とカシパンウニ)の思い出を語るぺーじ
ウニ類の中の、平ぺったい餡パンのような形をしたグループなので、「菓子パン雲丹」の名がある。スカシカシパンとかハスノハカシパンあたりが代表的。小学生のころ毎夏泳ぎに行った富海(山口県防府市)の海岸には時々スカシカシパンの殻が落ちていたので、旧知の間柄ではあったのだが、生きてるのは見たことがない(ここで初めて見ました)。水族館で飼ってるのも見たことがない。同級生の中には、森下先生の授業で初めてカシパンウニと知り合った人も多かったようだ。
森下先生はもと地史学講座の教授で、ウニ類の化石(特にカシパンウニ)がご専門であった。あの年代にしてはとても背が高く、幅はそれ相応以上にある。体格に見合ったようにずっしりとお歩きになる。ご面相も話し方も頗る温厚で、現代の分類なら「なごみ系」といえよう。それゆえ同期の間では「ナウマン象」を略して「ナウマン」と呼ばれていた。もっと昔はマンモスと呼ばれていたそうだから、考えることは皆同じである。「ゾウの時間、ネズミの時間」理論によれば相当の長寿が期待されたのだが。
当時、理学部には2次試験として筆記試験に代わる面接試験というのがあった。これに落ちても普通の筆記試験を受ければ良いので、面接は苦手なタイプなのだがとりあえず受けてみた。試験官はたぶん各学科1名で5名いたと思うが、科目は何にしますかときかれて「地学でお願いします」と言ったら、一番端の先生が立ち上がったのが予想外に大柄で、効果音は「ぬぉぉぉぉ〜」って感じである。結局、面接には落ちて筆記試験で入ったのだが、学部に上がってみると、「ぬぉぉぉぉ〜」の先生が森下先生であったことはすぐにわかった。
断るまでもないが大学の授業は1コマ=90分である。森下先生はいつも10分ほど遅れて現われる。たいてい化石のスケッチが幾つか載ったプリントを2、3枚配り、「図1は××××で、ここでは詳しくは申しません」といった簡潔な説明を行い、30分ほどで全部の説明を終えると「それでは、ちょっと早いですけれども今日はこれで終わります」と言って去って行かれる。というわけで学生にはとても人気があって、「森下先生のマネ」を隠し芸にする奴もいた。
前期は試験ではなくレポートであった。「レポート用紙1枚以内」という制限が付いていたので、授業の状況からして短いほど成績が良いのではないかと予想されていたが、1枚の裏にまで書いた奴がいて、みんなから「おみゃー、落ちるぞ!」とツッコまれていた(落ちはしなかったが)。後期は試験であったが、1枚の紙に「以下の用語について簡単に説明せよ」とあって地質学用語が4つほど書かれていて、それぞれ罫線が3行ばかり付いていた。ついにレポートを読むのも面倒になったらしいとのもっぱらの噂であったが、設問が「ホッサ・マグナ」だったりするのでさらに脱力した。
進論とは「進級論文」の略で、地質系の3年生がやる地質調査実習のことである。地質学系の講座は構造・岩鉱・地史の3つあったので、この3講座が回り持ちで進論の指導をしていたのだが、ちょうど地史の年に当たってしまった(>しまったのか)。当然ながら担当講座の教授はフィールドで指導を行うのだが、森下先生は準備万端、そのフィールドのオーソリティである地元大学のA先生を同伴して来られた。それまでに調べた露頭を回ってA先生にしっかりと指導していただいたのだが、森下先生はその間一言も口を挟まないばかりか、高いところの露頭には登らなかったりするのだった。そして昼前に雲行きが怪しくなってくると「天気も悪くなってきましたから、ちょっと早いですけれども今日はこれで終わりにしましょう」と、いつもの科白で締めくくってくださった。その日の夜、同じ場所に泊まっていた2班6名で森下先生をお迎えして飲み会をやろうということになり、先生の宿へ電話を入れたところ、急な話にもかかわらず快諾され、飲み屋に現われた先生は昼間とは一転して絶好調でいろいろな話を聞かせてくださるのであった。
大学教授は退官直前に最終講義というのをする。講義とは言ってもスペシャル版だから好き勝手な話をする訳で、思い出話の場合が多い。森下先生の最終講義もタイトルは「私の40年間」であった。普段の講義もかなり短めの先生であるからして、筆者の周辺では「1年=1分として40分くらい」と予想されていた。ところが始まってみると1年=5分くらいのペースだったので、これは予想に反して1時間以上かかるかと思われたのだが、後半は一気に加速して、終わってみると所要時間は35分であった。やはり学生ごときの予想を上回る大先生なのである。
同期就職のS氏は、大学時代にフィールドでウニの化石が幾つも出たので、ウニ化石の権威である森下先生に鑑定してもらおうと訪ねて来た。すると先生は「私は最近、ウニの分類に疑問を持っているんです」とおっしゃって、全部に「ウニの一種」というラベルを付けてくれたそうである。この話を聞いた人は例外なく「先生の40年間はいったい何だったんだろう」と言うのであった。
御嶽山は活火山とは思われていなかったのだが1979年に突如噴火した。森下先生はその噴火について解説するテレビ番組に出演した(筆者はまだ大学に入ってなかったので以下また聞き)。当時、名大の地球科学科には火山をやってる人がいなかったせいもあるが、実は最初はもう少し火山に近い専門の先生に依頼が行ったのだが断られてしまい、なぜか森下先生にお鉢が回ったのである(そこまで専門違いでなくてもという気もするが)。その番組で司会者に「御嶽山の噴火は今後、どうなるでしょうか」と振られた森下先生は「さあ〜、自然現象ですからねぇ〜、何とも言えませんねぇ〜」。いやそれはその通りだけどもさ!もうちょっとものには言いようってものが。と周囲が慌てたそうである。